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====je pense , donc je suis.=====
文藝評論家・山崎行太郎のコラム。
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 講談社『再現日本史』より。山崎行太郎のコラム『歴史の証言者』



村井喜右衛門(47)
(むらいきえもん)網元


寛政10年(1798)12月29日

「この節、オランダ船の引き揚げ、各々様より諸雑費入用等の件、御尋ねくださいましたことは、承知いたしました。しかしながら、決して雑費にかかわらず、引き揚げが終わってから、御上様より御褒美として、オランダ人が来秋渡来の時、相応の祝儀等をいただくのは別として、私から入用の金銀等は要求キる所存は毛頭ありません」(口上覚)

 オランダ東インド会社が雇ったアメリカ船「イライザ号」が、長<崎を出港してまもなく、嵐に巻きこまれて座礁・沈没した。船内には大量の樟脳と銅が積みこまれていたため、オランダ人は引き揚げを決意。この引き揚げ作業は難事業だったが、それを無償で引き受けたのが、長崎近海に勢力を張る防州(徳山市)の網元・村井喜右衛門だった。(山崎行太郎)











*1148607899*「マンデル・フレミング効果」の政治経済学 -------------------------------------                      新しい経済学理論としての「クラウディングアウト現象」や「マン デル・フレミング効果」が、一時期、日本でも一種の流行思想であったことは言うま でもない。もしこの流行思想の本質が「ケインズ批判」にあるとすれば、そこにケ インズ派とフリードマン等の間に、激しい勢力争いや経済論争が繰り広げられたこ とだろう。フリードマンやマンデルにとつてケインズ経済学は、「乗り越えなけれ ばならない」理論的な壁であり、目標だったはずである。そしてその厳しい「批判・ 超克」の結果が、「クラウディング・アウト現象]や「マンデル・フレミング効果」 と言う理論として結実し、やがてその理論がアメリカの経済学界や論壇、ジャーナ リズムを支配することになったのだろう。  こういう場合、問題の本質が、その結果として誕生し、定式化した理論そのものよりも、むしろ「批判・超克」という乗り越えの作業過程そのものにあるというのは、思想や学問の世界では常識というものだ。むろん、そういう批判・超克の結果として定式化した流行思想に盲目的に飛びつき、安直に追随するのはかなり程度 の低い学者や思想家だ。まともな学者や思想家なら、そういう流行思想ではなく、もっと古典を、あるいは批判・超克のプロセスと論争の中身を重視するだ ろう。我が国の政は、そういうレベルの経済学であり、経済学者たちであったはずだ。  しかるに、マルクス主義崩壊の後に登場したのは、古典(たとえばケインズやマ ルクス…)を、「古い」と言って一刀両断するレベルの経済学者たちであった。彼ら が経済学者や思想家の名に値しないことは言うまでもない。それゆえに、この流 行思想としての日本版「新古典派経済学」の台頭(つまり構造改革派の台頭…)を主 導する経済学者や思想家の顔が、まったく見えてこないのである。言いかえれば、 そこに一流の経済学者や思想家がいないということだ。流行思想に追随するとい うことはそういうことである。 たとえば、「経済白書」にこういう文章が書きこまれている。  ≪現状 (98年夏)では,実質長期金利が歴史的低水準にあり,円も対ドルで 減価しているため,クラウディング・アウト効果,マンデル=フレミング効果によるマイナス面をあまり重視する必要はない。しかし,今後民間需要中心の景気回復過 程への移行が進むに連れて,民間資金需要が強まったり,金融政策スタンスが引き締められれば,長期金利は上昇に転じ,為替レートにも増価圧力が働くと考えられる。その場合には,クラウディング・アウト効果やマンデル=フレミン グ効果により,財政赤字の拡大が長期金利と円レートを上昇させ,投資や純輸出を低めて成長率を低下させる,というマイナス面の効果が出るか否かを考慮に入れる必要があろう。≫  ≪いわゆるバブル期を含むそれ以前の10 年間(83年〜92年)に比べ,総じてみれば財政政策の乗数効果を低下させる方向に変化している可能性があることは否定できない。他方,クラウディング・アウト効果やマンデル=フレミング効果は存在するものの,80年代よりは弱まっており,むしろ財政政策の副作用が弱まる方向に変化しているとみられる。≫  ≪90年代に入って,クラウディング・アウト効果やマンデル=フレミン グ効果 による長期的な景気へのマイナス効果は,むしろ小さくなっているとみられる。≫  この「経済白書」には、頻繁に「クラウディング・アウト効果」や「マンデル= フレミング効果」への言及がある。これを見ると、経済学者やエコノミストだけで はなく、官界や政界も、これらの新しい経済思想に洗脳されていたことがわかる。 むろん、新しい経済学を勉強することが悪いわけではない。しかしただ無批判に勉 強すればいいというものもでもないだろう。彼等がこの「経済白書」で言いたかっ たことは、要するに、「ケインズは古い」「マルクスは古い」ということだっただ ろうと私は推測する。この当時から、いかに経済官僚がうすっぺらな根無し草の思 考を始めたかを示している。ちなみに、この白書の結論は、だから構造改革が必要 だ、となっている。  古典を軽蔑し、「ケインズは古い」「マルクスは古い」というレベルの議論が成 立つのは表層的な歴史主義に毒されている証拠である。たしかに単純に考えただけ でもケインズやマルクスが古いことは言うまでもないことだ。つまりケインズもマ ルクスも、すでに過去の人であるという意味ではケインズ経済学やマルクス経済学が古いのは当然なのだ。しかし、たとえば、ドストエフスキーやトルストイの文学が、未だに「新しい」という言説は文学の世界では常識であるが、もしそういう意味でなら、「ケインズは古い」「マルクスは古い」という議論には疑問符がつくだろう。  ドストエフスキーやトルストイが永遠に「新しい」とすれば、ケイン ズもマルク スも永遠に「新しい」と言うことは不可能ではない。否、ケインズやマルクスこそ、経済学におけるドストエフスキーやトルストイにあたる人物なのだ。「ドストエフ スキーはもう古い」「トルストイはもう古い」という文学者がいたとすれば、彼は 文字通り「文学者失格」だろう。しかるに、経済学において「経済学者失格」「エ コノミスト失格」という議論が起きないのは、何故だろう。それはおそらく昨今の 経済学の世界が、単純素朴な流行思想のレベルで展開しているからである。そこに すべての問題は集約できるだろう。 [PR]
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