メールマガジン『毒蛇通信』
 まずは、拙論をお読みいただき、その上で感想をお寄せいただき、ありがと うございます。 早速ですが、私は、「保守陣営なら『天皇論』が多くの人に読まれる情況を喜ぶべきだ・・・」とか、「温かい心で「天皇論」の幅広い浸透を支援しようではないか・・・」とかいうような物の言い方が好きではありません。むしろそういう言葉の使い方を嫌悪します。何故、みんな一緒になって、絶賛しなければならないのか。ましてや、それの「幅広い浸透を支援」しなければならないのか。「保守」だから、ですか?   ならば、三島由紀夫のあらゆる小説を、あるいはその「文化概念としての天 皇」論を、あるいは、「などてすめろぎは人となりたまいし・・・」と昭和天 皇を告発した『英霊の声』を、全員揃って、みんなで絶賛しなければないない ということになりますが、それでいいのか。   また「左翼陣営を倒す力の結集・・・」というような発想法にも大反対で す。私は、保守陣営であれ、左翼陣営であれ、優れた作品は褒めていいし、く だらない作品は批判し、貶してもかまわないと考えます。保守陣営の作品だか ら、「多くの人に読まれることを喜ぶべきだ」というのは、思考停止、思想放 棄以外のなものでもないと考えます。ましてや、「温かい心で『天皇論』の幅 広い浸透を支援しようではないか。」というにいたっては、私としては、「言 語道断」というしかありません。  むしろ、保守陣営だからこそ、保守思想の深化のために相互批判、切磋琢磨 、論争・・・が必要でしょう。  フッサールの弟子だったハイデッガーは、師を裏切るようにして決別し、独 自の哲学世界を築き上げました。ミシェル・フーコーは、弟子筋のジャック・ デリダと激しい論争を繰り返しました。三島由紀夫の自決をめぐって、小林秀 雄と江藤淳は、激しい言葉のやりとりをしています。江藤淳が「あれは病気で しょう」と言ったのに対して、小林秀雄は激怒して「君は日本の歴史を病気だ というのか」と反論しています。  「保守陣営の作品なら・・・」批判も反対もすべきではないというのであれ ば、思想も学問も沈滞し、劣化するしかありません。現に、今回の選挙におけ る自民党の惨敗、そして政権交代をもたらしたものは、他にも様々な原因があ るかもしれないが、私は、全員一致で、同じお題目を唱えるだけの最近の保守 陣営の思想的沈滞と思想的劣化が主な原因だろう、と考えます。  私は、小林秀雄や江藤淳、三島由紀夫を読んで保守とか保守思想というもの に興味を持ちました。もちろん,小林秀雄や江藤淳等も読みますが、同時に大 江健三郎も柄谷行人も、そして吉本隆明も丸山真男も、さらに広松渉も読みま す。左翼とか右翼、あるいは保守・革新という二項対立で、判断・選別してい ません。むしろ私は、最近は、保守思想家たちの本よりも、左翼と言われてい る人たちの本をよく読みます。学ぶべきことが多いからです。私は、「保守反 動派」を自称しながら、最近、右翼・保守陣営に属する人たちの書いたものは 、ほとんど読みません。はっきり言って、学ぶべきものがなく、思想的にも学 問的にも「クダラナイ」からです。  その象徴的存在が小林よしのりです。小林よしのりだけでなく、櫻井よしこ も渡部昇一も、西部邁も中西輝政等の書いたものもほとんど読みません。もち ろん思想的レベルが低いし、読んでも学ぶべき点が何もないと考えるからです 。  言うまでもなく、私は、漫画や漫画家を差別するつもりはありません。ただ 、政治や思想、歴史等を、漫画家が語り論じるのであれば、もはやそれは漫画 の世界の話ではないはずです。「漫画だから・・・」「漫画家だから・・・」 と言つて逃げるわけにはいかないでしょう。  私は、日本の論壇が、小林よしのりの『天皇論』を黙殺していることは論壇 として健全なことだと思います。  『ベルサイユの薔薇』を読んでフランス革命がわかったという人もいるでし ょう。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んで、明治維新がわかったという人も いるでしょう。私は、それを批判も否定もしません。ただ、それらは、論壇や ジャーナリズム、あるいてはアカデミズム・・・等の世界で、大真面目に論じ る話題ではないでしょう、と言いたいだけです。以上です。妄言多謝。(山崎行 太郎) ■中川昭一氏の急死が意味するもの。  自民党保守派の最後の砦とも言うべき中川昭一氏の突然の死に驚かなかった ものはいないだろう。私もまたそうであった。しかし、しばらくして、その急 死が、偶然的というよりも、いかにも必然的な、運命的な死であったという感 覚もまた、同時に沸き起こってきた。それは、自民党の政治的死、つまり自民 党の終焉、あるいは自民党的な保守原理主義の終焉、言い換えれば、自民党か ら民主党への政権交代を象徴しているように見えたからである。つまり、政権 政党として戦後政治を常に主導してきた自民党という国民政党が、冷戦の終結 という国際政治の大きな転換があったとはいえ、主義・主張というイデオロギ ーを重視する左翼的な「イデオロギー政党」に変貌し、主義・主張の異なる異 分子の排除・除名・復党を繰り返すような極端な「純化路線」をとるようにな った必然的な結果として、自民党結党以来はじめての「小数野党」に転落した ように見えたからである。中川氏の死が明らかになると、自民党やマスコミ周 辺に飛び交い始めた「保守」や「保守再生」「真正保守」という言葉に、私は 違和感を持ち始めると同時に、これこそが、中川氏を「死」にまで追いつめた のではないか、と思わないわけにはいかなかった。たとえば、中川氏の政治的 盟友である平沼赳夫代議士や安倍晋三元首相、麻生太郎前首相等は、自民党の 再生の方向を「保守再生」と位置づけ、「保守」や「保守主義」を力説してい るが、私は、むしろ、そこに小数野党に転落した自民党の病根はあると考える 。自民党は「保守主義」では再生しない。むしろ、「憲法改正」や「安保問題 」を声高に語る保守主義というイデオロギー(理想主義)を封印し、権力闘争や 派閥抗争、そして政界再編、選挙等に熱中する「現実主義」路線をとることに よってしか自民党は復活しない。「民主主義は選挙である」(小沢一郎)。  私が中川昭一という政治家に注目するようになったのは、安倍晋三氏等とと もに、南京事件論争や「従軍慰安婦」問題などをめぐる「女性戦犯法廷」の報 道とそれへの政治介入問題などで話題になった「NHK・朝日新聞事件」にお いてであった。しかし、そこに中川氏の政治的限界はすでに明らかであった。 中川氏は、「現実」よりも「理想(イデオロギー)」を選択したのである。私は 、中川昭一氏の父親・中川一郎という政治家のファンであったから、「中川一 郎急死事件」にも、秘書の鈴木宗男氏との後継争いにも、そしてその後の亀井 派議員としての政治行動にも少なからぬ関心を持ち続けていたが、やはり世襲 政治家ではない亀井氏や鈴木氏と比較しないわけにはいかない。郵政民営化問 題を契機に「小泉自民党」と決別し、ミニ新党を立ち上げ、冷や飯を食いなが らも妥協せず、そしてチャンスと見るやすばやく民主党と連立を組むことによ って政界の中枢にかえりさいた亀井氏や鈴木氏の「現実主義」と、小泉自民党 との妥協を繰り返したあげく、政権中枢で「憲法改正」や「安保問題」を語り 続け、ついに落選と急死に追い詰められた中川氏の「理想主義」・・・。「政 界は一寸先は闇」であると言われるそうだが、まさに至言である。 ■今こそ、高坂正尭の『宰相・吉田茂』を熟読すべし。  要するに、自民党議員は、「憲法改正」や「安保問題」を封印し、経済中心 主義の政治を断行した「吉田ドクトリン」を、櫻井よしこ氏や中西輝政氏のよ うに批判するのではなく、今こそ「吉田ドクトリン」を再評価し、そして自民 党的な現実主義を主張した保守思想家・高坂正尭の『宰相・吉田茂』を熟読す べきである。高坂は、こう書いた。  ≪まず、われわれの注意は、戦後のあの混沌とした時代に、「戦争で負けて 外交で勝った歴史はある」と言うことができた人物に向けられなくてはならな い。これまで、吉田茂は評論家と知識人によって、恐ろしく不当に扱われて来 た。吉田の独善ぶりと頑固さは、まるできまり文句のようにくり返されて来た 。しかし、それは裏を返せば決断力と信念の固さということではないだろうか 。そして、彼は長所と短所を含めたすべての能力を投入して、ひとつの仕事に 傾倒して来たのではないだろうか。吉田は国際政治について確固たる哲学を持 ち、その哲学が指し示す地位を日本に与えようとしたのだ、と私は思う。  これまで、彼は思想を持っていないと言われて来た。しかしはたして、思想 を持たない、権力欲の強い官僚が、あの軍国主義盛んなりしときに、最後まで 孤塁を守って日独防共協定に反対したりするだろうか。…(中略)  吉田茂は、国際政治において、軍事力に最大の重要性を与えたことは一度も なかったーー肯定的にも否定的にも。彼は、軍事力には二次的な地位しか与え なかったし、逆に軍事力を否定しようともしなかった。彼は、政治的、経済的 関係を国家間の関係の基本と信じ、その意味で名誉ある地位を日本が国際社会 において占めるというひとつの願いを抱き、そのために努力して来た。実際彼 は、戦前戦後を通じて恐ろしく変わらなかった。それには、それなりの限界も あり、欠点もあるだろう。しかし、彼には大きな業績もあるのだ。それは何よ りも戦後の復興をが示している。≫(『宰相・吉田茂』P7-8)  政治家は、軽々しく「理想」や「イデオロギー」を語るべきではない。吉田 茂の政治家人生は、それを証明している。吉田は権力闘争を勝ち抜き、長期政 権を維持したが、「理想」や「イデオロギー」を語らなかった。しかし、吉田 に理想やイデオロギーがなかったわけではない。高坂正尭が言うように、吉田 には吉田の「政治哲学」があった。高坂正尭の弟子と称する中西輝政氏は、自 民党の政治家たちとに深い思想的影響を与えているらしいが、恩師の代表作『 宰相・吉田茂』を熟読したことはあるのだろうか。自民党員よ、中西輝政氏や 櫻井よしこ氏等の主張する「保守主義」という「理想主義」や「イデオロギー 」に酔いしれる前に、今こそ、高坂正尭の『宰相・吉田茂』を熟読すべし。  保守思想家や保守政治家たちは、好んで「歴史や伝統」を語るが、歴史や伝 統ということについて、本気で考えたことがあるのか。あるいは、歴史や伝統 の「持続の流れ」(ベルグソン)に参加しているのか。彼等は、歴史や伝統の外 側に立ち、「高見の見物」を決め込んでいるだけではないのか。保守思想家の 元祖とも言うべき小林秀雄は、こう書いている。  ≪独創性などに狙いをつけて、独創的な仕事が出来るものではあるまい。そ れは独創的な仕事をしたと言われる人達の仕事をよく見てみれば、誰も納得す るところだろう。伝統もこれに似たようなものだ。伝統を拒んだり、求めたり するような意識に頼っていては、決してつかまらぬ或る物だろう。それなら、 伝統は無意識のうちにあるのか。そうかも知れないが、この無意識という現代 人の誤解の巣窟のような言葉を使うのは、私には気が進まない。伝統とは精神 である。何処に隠れていようが構わぬではないか。私が、伝統を想って、おの ずから無私が想えたというのも、そういう意味合いからである。無私な一種の 視力だけが、む歴史の外観上の対立や断絶を透かして、決して飛躍しない歴史 の持続する流れを捕えるのではないだろうか。≫(『考えるヒント2』文春文庫 P136)  小林秀雄が、ここで言おうとしていることは、「歴史や伝統を守る」と声高 に主張することと、「歴史や伝統を生きる」こととは違うということだ。たと えば、三島由紀夫は、「歴史と伝統を守る」と言ったが、彼にとっては、歴史 と伝統を守るとは、「歴史と伝統を守れ」と叫ぶことではなく、彼の職業であ った小説や芝居を黙々と書き続けることであった。自決前夜も、彼は『豊穣の 海』という大長編を書き続け、そして当日、原稿を書き上げて最後のページに 「完」と記し、編集者にその完成原稿を手渡す約束をした上で、市ヶ谷の自衛 隊駐屯地に向かったのであった。 ■「外国語としての日本語で書き、考える」とは、どういうことか。  外国語としての日本語を駆使する作家たちが注目されているが、その新しい 流れを代表する二人の作家、楊逸(中国)とシリン・ネザマフィ(イラク)の対談 「私たちはなぜ日本語で書くのか」が面白い。彼等は、外国生まれで、日本語 を外国語として学習し、熟達・熟練した上で、その外国語としての日本語で書 き、考える「日本語作家」として登場してきたわけだが、たしかに彼等の文壇 への登場の仕方には時局や時勢への便乗的・迎合的な要素もなくはないが、し かしやはり、そこには重要な問題が内包されている。我々は、「日本語で書き 、考える」ことにあまりにも慣れ親しんでいるが故に、日本語という言葉の存 在を意識できなくなっている。しかし、この世界の物や事は、すべて言葉を通 して語られ、発見され、存在させられている。たとえば「伝統」という言葉を 使うことによって、伝統そのものに触れていると我々は錯覚するが、むろん、 我々が触れているのは「伝統」という言葉であって、伝統そのものではない。 言い換えれば、「伝統」という言葉(イデオロギー)を使うことによって、我々 は、伝統そのもの(現実)が、何であるかを考えることが出来なくなっている。 文学とは、その「伝統」という言葉の背後に横たわる虚無を見つめること、そ してその虚無を表現し、その虚無を生きることである。作家や批評家にとって 、言葉ではなく言葉の背後に広がる虚無を生きることこそ、「作品」を創るこ とである。二葉亭四迷や国木田独歩、夏目漱石等の明治初期の作家たちにとっ ては、現代日本語は存在しなかった。彼等もまた、「日本語」という外国語に 接し、そして外国語を使うかのように日本語を使ったのである。彼等の文学作 品が、新鮮なのは、彼等が、日本語という言葉の背後にある「虚無」、つまり 「言語の恣意性」(ソシュール)を見つめていたからである。  ≪私は中学生のとき、小学生時代を日本で過ごした女の子と仲良くなって、 その子の転校時に日本人のクラスメートから貰った寄せ書きを見せてもらった ときに、初めて漢字を見ました。初めて見たときは、非常に不思議な感じがし たことを覚えています。≫(シリン・ネザマフィ「文学界」11月号P194) 我々は、日本語に接する時、こういう「不思議な感じ」を失っているが、し かし、むろん、幼児や、優れた言語感覚の作家や思想家、政治家、実業家たち 、そして生活者たちも、こういう「不思議な感じ」を完全に失っているわけで はない。「伝統」という言葉の前に立ち尽くす作家や思想家、政治家、生活者 …もいないわけではない。  たとえば、今月は新人賞の季節だが、「新潮」新人賞を受賞した赤木和雄の 『神キチ』という「宗教狂い」を戯画的に描いた作品には、そういう「不思議 な感じ」が漂っている。 PR
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=======je pense , donc je suis.========
文藝評論家・山崎行太郎の『毒蛇通信』
2003./12/14/
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■おことわりとお願い■

メルマガを2通送ります。2通目は、空メールです。Eマガジン のシステムの都合上、変則的な送信になりましたが、よろしく お願いします。2通目は、すぐ削除してください。なぜ、そうい うことをする必要があるのか。理由は、以下の通りです。

■再開宣言!!■

 しばらく、HPの一部をブロック、閉鎖して見にくくしていましたが、これから、少しずつ元に戻して行こうと思います。メルマガは、非公開にし、HPの日記はブロックできないために保存の上、削除しました。これまでの日記は、僕のものだけではなく、恩師・先輩・友人・生徒たちの個人情報までもが、他のサイト等でばらまかれる恐れがありましたので削除した次第です。 なぜ、削除したのか。 その理由に関しては、今は、まだ、くわしいことは言えませんが、「田口ランディ盗作騒動」に関するものです。 僕は、「三田文学」(冬季号ー現在発売中!!)に連載している「季刊・文芸時評」の末尾部分で、田口ランイディの「ドリームタイム」(「文学界」連載)を好意的に取り上げ、「盗作騒動」を批判しました。すると、「ランディ盗作騒動」を仕掛けていてると思われる人物かそのグループの誰かが、これを読み、ネット上に「無断転載」し( これは明らかな著作権法違反!! )、それを掲示板などに張りつけ、騒動を煽った(煽っている!!)…というものです。くわしいことは、いずれ明らかにします。

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「田口ランディ盗作騒動」について
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 最近、、「田口ランディ盗作問題」に関連して、このホームページや日記、掲示板などのアドレスが、悪意からであると思われるが、某氏 によって公開されている…( こういう行為を「サラス」と言うらしいが…笑)ようなので、しばらく、この日記は、外部からは見えないようにしようかと思ったが,やめた。別に、アドレスを公開されることを警戒しいるわけでもないし…。  元々、僕は、リンクフリー宣言しているし、内容も「転載・転送・コピー」、いずれも可としている。それに変化はないが、しかし、はじめての経験なので、しばらく様子を見ることにする。  これを機会に、HPもより巨大な容量(100メガ?)のHPに移転することにした。以前から、そのつもりで準備していたので、何も問題はない。  「田口ランデイ盗作騒動」とは、ランディさんが、盗作を繰り返している、という「2ちゃんねる」のカキコミを中心とする告発、さらにそれに煽動されたかのような文壇内外からの告発によって、ランディさんが盗作騒動に巻き込まれ、彼女の本が次々と絶版になったり、書き換えや訂正を余儀なくさせられたり…した事件のことである。マスコミでも大きく報道された。テレビのニュースでさえ、取り上げられたように思う。 さらに、この騒動に輪をかけるように、大月隆寛氏を編集責任者とする「盗作告発本」まで、某出版者から刊行され、ネット社会の「事件」として、賛否両論、いろいろな意味で、話題になった。  普通なら、ランディさんは、社会的に抹殺されるはずなのだが、しかし、不思議なことにその後、「新潮」「文学界」等、いわゆる文芸誌の中でもどちらかと言えば「権威」のある雑誌にも登場している。これが、何を意味するかは明らかだろう。しかも、この告発本自体が、いつのまにか書店の店頭から消え、むしろそっちの方が抹殺された(かの…)ようである。  僕は、この告発本を読むまでは、詳しいことは知らなかった。別に大して興味もなかった。しかし、この告発本を、たまたま友人から借りて読んで、この問題の真相が見えてきた。僕の感想は単純なものだっ た。これは、「盗作騒動」と言う問題に名前を借りたネット社会特有の 新しい形の「いじめ」だな、というものであった。  そもそも、盗作とは何か。何をもって盗作と言うのか。  引用やパスティシュ、本歌取り…。テーマやアイデアの借用からパロディまで…。芸術や文学の歴史が、盗作と創作のぎりぎりの線の上 に成り立っていることは常識だろう。  僕は、「三田文学」秋期号(現在発売中!)で、ランディさんの連載「ドリームタイム」(「文学界」)を簡単に紹介するついでに、盗作騒動にも触れてみた。どういう反応が返って来るのか、少し不安ではあったが・…。  やっと、その反応が、ぼつぼつ見え始めたというところだろうか。僕は、これからネット社会から、続々と物書きや表現者が出てくると思う。だからねっと社会そのものを、一部の新聞やテレビのように否 定も批判もしない。むしろ、僕のような人付き合いの苦手なものにと ってはとても便利なメディアの出現と言っていい。だから、僕は歓迎 こそすれ決して批判などするつもりはない。テレビや新聞が、ネット 社会について、「出会いKサイト」や「2ちゃんねる」等をネタに、激しい批判と告発のキャンペーンを張るのは、むしろテレビや新聞が、 ネットにその位置を奪い取られようとしているからだ…という説がある らしいが、なるほどと思う。 さて、おそらく、新聞、雑誌、テレビなどに「プロ」の作家や評論家として頻繁に登場している人たちも、のんびりしていられないだろうと思う。無名の書き手たちの発言が、ダメだということはないからである。宮台真司などは、ネットは、「便所の落書き」みたいなものだといっているらしいが、宮台の雑文こそ、そう呼ぶべきではないのか、 と思う。 要するに、プロとアマの差は、限りなくゼロに近づいている。今は、そういう時代なのだろう。かつて、吉本隆明は、自前のメディ アとして同人雑誌「試行」を定期的に刊行して、大手マスメディアか らのお仕着せの情報に、抵抗し対抗した。多くの若者たちが、吉本 隆明の手作りの個人雑誌を先を競って読んだ。 僕は、それと同じようなことが、ネットによって、簡単に出来るのではないか、と思っている。 そういう意味でも、ネット社会から発生した「田口ランディ盗作騒動」は、かなり面白い社会問題なのだろう。


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坪内祐三クン、夜道の一人歩きには気をつけようね…。
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 出掛ける時、駅前の小さな本屋で、週刊誌の立ち読みをするのが、小生の趣味の一つだが、昨日は、たまたま時間的余裕があったので、普通の週刊誌に一通り目を通したあとで、「SPA」という、普段はあまり手にしない週刊誌を手に取り、パラパラめくっていたら、福田和也と坪内祐三の漫談が出ている。オヤオヤと思って、覗いて見ると、なんと1ページ目に、我輩の名前がでているではないか。なんだ、コリャ…と思って読んで見ると・…。はははは、大いに笑ったね。この二人、先日、「小林秀雄賞」のパーティがあり、「タダ酒」「タダ飯」を目当てに、ノコノコと出かけてみると、まともな物書きは、お二人さん以外は、ほとんど来ていなくてガックリきたという話なのだが、そのついでに、ヤケクソ気味に、こんなことを言っている。「文芸評論家ってみんな貧乏だから、呼べばだいたい来るよ。ただメシ食いに。」(坪内祐三)だって…。手の内がミエミエなんだよ、オメエーさん。そもそも、「ただメシ」「ただ酒」を目当てに、ノコノコ出掛けていき、大恥をかいたのは、坪内祐三よ、オメエーだろうが…。自分の品性下劣な貧乏人根性を棚に上げて、ヤツあたりすんなよな。余計にみっともないからな。ところが、これに対して福田和也…。「山崎行太郎、絶対来るね」…だって。行くわけないだろう、呼ばれてもいないのに…。わはははは。オレが新潮社のパーティに行ったのは一度だけだよ。それも、なんと、福田和也が「三島由紀夫賞」を受賞した年のパーティ(藁)。しかも、驚くなかれ、文壇に友達が一人もいなかった福田和也の招待で・…。その夜は、原宿のラゴーラや新宿のオカマ・バーにまで付き合わされて大変だったよ…。しかし、まあ、この二人…、いつものことだから、「タダ飯」「タダ酒」は慣れっこのはずなのに、この夜は、よっぽどミジメだったのだろうね。ところで、言っちゃなんだが、オレは、たった一人だったとしても、呼ばれたら行くと思うよ。悪いか、それが。何か、文句、あっか・・・。なぜ、行くか? それは、誰よりも、オレが、小林秀雄という批評家を尊敬しているからだよ。それだけだよ、行くとすれば…。オメエーラみたいに、ろくに小林秀雄を読みもしないで、「ただ飯」「タダ酒」だけを目当てに、行くわけないじゃないか。しかし、まあ、「小林秀雄賞」とは言っても、羊頭狗肉と言うか、名前だけで、なんの面白味もない文学賞だもんな。それに、オレみたいに、かねがね、「貧乏こそ文学の原点である…」「西行や山頭火を見よ…」「全共闘世代以降には、菊田均以外には、まともな批評家はいない…」なんて言っている、天下の「貧乏崇拝評論家」(藁)に招待状が来るわけないから、安心しなよ。今や、文壇は、ゼニ・カネ勘定が批評だと錯覚しているような「俗物天国」だからね。俗物は俗物を呼ぶ、というわけ。福田和也と坪内祐三にピッタシだよ。ははは。それにしても、この二人、「貧乏」「貧乏」・・・と、なんで、こんなに「貧乏」という言葉にこだわるんだろうね? 「貧乏」がトラウマになってるみたいだな。小さい頃、親が倒産したか、欠損家庭で、貧乏生活で苦労したことでもあんのかね。そもそも、貧乏という言葉を恐れて、貧乏生活を覚悟できないようなヤツに、文学や批評を語る資格はないよ。江藤淳が、「地位」や「金銭」にこだわり、「上昇志向」の権化を演じて見せたのは、戦後のジャーナリズムで、「弱者の論理」(貧乏人の論理)を駆使してのしあがった「強者」(戦後民主主義者たち…)への皮肉、アイロニーからだよ。だから、江藤淳は、最後にすべての「世俗的」なものを、地位も名誉も金銭も、あっさり捨てることができたわけさ。ゼニ・カネしか頭にない坪内祐三のような俗物とはちがうよ。わかるかなあ。わかんねえだろうなあ。たまには、江藤淳を読み直せよ。ちゃんと、書いてあるからさ。しかし、無理かな、オメエーラには…。「タダ飯」「タダ酒」だけが目当ての、単なる「俗物」だもんな(爆笑)。二人は、今回の受賞者・吉本隆明の「呆けぶり」を笑っているが、吉本隆明は、たとえ呆けようと何しようと、オメーラみたいに品性下劣ではないよ。地位も名誉も金銭も求めない吉本隆明のような生き方の中にしか、文学や批評はない。それが出来ない俗物は、坪内祐三のような「タイコモチ批評家」になって、毎晩毎晩、パーティのハシゴをするしかないのよ。わかるかな? ところで、坪内祐三は、2、3年前、新宿歌舞伎町かどこかの夜道で、誰かに殴り飛ばされて意識不明の重傷をおい、入院したことがあったそうだが、こんな調子だと、またその内、やられるんじゃないか(藁)。さて、今夜も、どこぞのパーティで、二人揃って、残飯アサリしてたりしてね…このお二人さん・・・(爆笑)。帰りの夜道には、気をつけてね…。ははははは。




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石原慎太郎のテロ擁護発言について…
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 あらゆる正義や制度は、暴力やテロの上に成立っている。平和な時代が続くとそれが忘れられ、あたかも、正義や制度が、それ自体で正しいもののように錯覚されるようになる。しかし、例えば、明治維新がそうであるように、近代日本の正義も倫理も法制度も、暴力とテロによって形成されたものだ。テロリズムが作ったのが明治政府である。明治の元勲たちは、皆、元はテロリストであり、人殺しであった。それは、明治維新に限らない。「自由、平等、博愛」という近代的な倫理は、血腥いテロと暴力の結果,生まれてきたものだ。さて、石原慎太郎は、実は、失言したのではなく、積極的にテロを擁護しているのである。「刺し殺せ!」と。若い時、「刺し殺せ」というエッセイを、石原慎太郎は、書いている。テロ擁護論は、石原慎太郎という思想家・政治家の本質と言っていい。むろん、私は、批判しているのではない。テロが歴史を作り、テロが新政府を作るのである。歴史に参加するものはテロや暴力と無縁であることはできない。正義や倫理がかつのではない。勝ったものの正義や倫理が、正しいものとして認知されるだけである。しかし、偽善と欺瞞で塗り固められた平和ボケ・日本においては、そのように主張することは、あんまり毒が効き過ぎるので、石原慎太郎としては、ちょっとセーブしただけだろう。三島由紀夫は、「自分は暴力に反対したことは一度もない」「自分が何かやるときは非合法でやる」と言っている。そしてそれを実行した。戦後日本の平和も、所詮は、「アメリカ占領軍」の暴力とテロによって成立っている。普段は、それが見えないだけである。未だに、日本各地にあるアメリカ軍の軍事基地とは何か。それは、日本を護っているのまではなく、日本人の思想と精神を呪縛しているのである。その結果、「テロはケシカラン…」という偽善的なタテマエ論が、国民的な世論になっているにすぎない。言いかえれば、日本人は、歴史の現場としてのテロと暴力の現実から排除されているのである。「テロはケシカラン・・」というのは、戦後日本人の共同幻想である。実は,みんな知っているのだ。そんなものは、ウソッパチだ、と・…。だから、庶民は、石原発言に拍手喝采するのだ。



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、いま、なぜ、山口ニ矢なのか?
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 今、「月刊日本」というオピニオン雑誌に、『山口ニ矢・その思想と行動』が連載されている。筆者は、国際政治学者の藤井厳喜だ。 山口ニ矢とは、今更言うまでもなく、60年安保の時、当時の社会党委員長・浅沼稲次郎を、日比谷公会堂の壇上で刺殺し、その後、獄中で自決した青年である。 山口青年が、当時、17歳だったことから、大江健三郎は、この事件をモデルに『セヴンティーン』という小説を書いた。また沢木耕太郎には『テロルの決算』という作品がある。いずれも山口青年の「義挙」に深い影響を受けて書かれた、歴史に残る名作である。 大江の小説は、それぞれの思想的立場により、評価は分かれるだろうが、小生は文学作品として見れば、明らかに大江の代表作だと思っている。しかしこの小説は絶版状態で読むことは出来ない。 つまり、70年が、三島由紀夫の自決に象徴されるとすれば、60年安保は、山口青年の「義挙」に象徴されるのである。 さて、藤井は、山口青年の義挙の歴史的・政治的意味について書いている。 ≪山口烈士の義挙を理解するには、昭和35年に日本の愛国者が持っていた危機感を理解しなければならない。「反アメリカ帝国主義」やら「平和主義」やら「非武装中立」ならの美名にかくれて、親ソ親中の共産主義・社会主義者たちが日本を乗っ取ろうと着々と力を貯えていた。これが昭和35年の現実であった。≫ この危機は、現在もたいして変わっていない。 今は、「平和主義」や「非武装中立」に代わって、「環境」や「人権」や「ジェンダーフリー」、あるいは「構造改革」や「グローバリゼーション」という新しい美名の元に、国家の解体が着々と進行している。 しかも、現代の危機がさらに深刻なのは、山口ニ矢や三島由紀夫がいないことだ。 国家にとって「戦争」が、国際法上の権利として認められているとすれば、政治的に無力な一個人にとって「暗殺権」も許されていいのではないか。 藤井は、こう言っている。 ≪非権力者に残された究極の政治参加の道が、暗殺である。欧米に措ける代議制デモクラシーは、ブレッド(bullet 弾丸)をバロット(ballot 票)に代える事により、成立したと言われている。だとすれば、時に絶望した少数の有権者が、バロット(票)を、元のブレッド(弾丸)に取り替えなおしても、文句は言えないという論理になる。≫  まったく、その通りだ。            

編集前記
■残念ながら期待した総裁選も、平凡な結果に終りそうですが、今回の総裁選での大きな成果は、経済政策論争の中身が、一般大衆に浸透したことではないでしょうか。「構造改革」「財政再建」のワンパターンが、もうこれからは通用しなくなった、といっていいでしょう。亀井静香の「財政出動」「景気回復優先論」というケインズ的経済政策が、庶民レベルにも理解されたと言うことです。これまでは、「財政出動」は、「無駄遣い」「利権の温床」というイメージでしか理解されていなかったのですが、それが経済学的にも正当な理論であるということが、今回は納得できたはずです。その意味では、小泉陣営は、選挙には勝つでしょうが、政策論争には完璧に負けた、と私はおもいます。
■もう一つ重大なことは、小泉政権が、マスコミ政権だと言うことが暴露されたことでしょう。政治評論家の森田実が、怒りまくっていたように、マスコミ、特にテレビは、小泉支持に凝り固まっています。今や、構造改革にたいしては批判的、否定的なエコノミストがほとんどですが、そういうエコノミストや経済学者たちは、総裁選の間、テレビ画面から消されています。逆に小泉応援団と思われるエコノミストやジャーナリストたちが跋扈しています。特に、名前をあげると、田原総一郎…。私は、見ていませんが、サンデー・プロジェクトで、反小泉の三候補を前に、司会者の特権を悪用して、三人をコキオロシたそうです。同じくこの番組に出て小泉擁護にシャカリキになった松原聡、財部誠一。あるいは12chに出ていた中谷巌。持論を展開するのはいいが、選挙妨害も、いいかげんにしろ、と言いたくなります。
■もう一つは、いい加減な電話調査による「選挙予測」の垂れ流しです。最近の選挙予測や支持率調査は、明らかに経費節約の手抜き作業で出来ています。小泉内閣支持率60パーセントの秘密はここにあります。その方法とは、アトランダムに選んだ電話番号に電話して集めたデータをもとに、支持率や選挙結果を予測するものだそうです。しかし、突然、わけのわからないアンケート調査のような電話を受けて素直にこたえるものでしょうか。私に限って言えば、その種の電話に答えたことはありません。ぜんぶ、すぐに切ります。そもそも、その時間に(昼間?、あるいは夜9時まで?)自宅にいて、電話に出るのは「誰れ」でしょうか。当然、専業主婦が圧倒的に多いでしょう。職業婦人(古いか?)や勤労者がその電話をとることは、90パーセントないはずです。しかし、そうして出来た支持率を垂れ流すことによって、大きな流れが決定され、有権者の投票行動に大きな影響を与えます。今回の総裁選が尻すぼみになったのは、ここに原因があります。これからは、選挙活動開始とともに、選挙予測の発表は、法律で禁止すべきでしょう。競馬だって、ゴールが近づくと、場内テレビ放送を中断するじゃないですか(爆笑)。



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文藝評論家・山崎行太郎のメールマガジン『毒蛇通信』           2003.9/16/
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文藝評論家・山崎行太郎のメールマガジン『毒蛇通信』
2004./5/24/
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■小泉政権の政治的危機を救うために?

 小泉総理は、またまた突然の北朝鮮訪問、キム・ジョンイルとの首脳会談、そして蓮池・地村夫妻の五人の子供たちをともなっての凱旋帰国という、大きな政治的な賭けに出た。例によって、この国際的イベントは、誰が見ても明らかなように、自らの年金未加入の発覚や、民主党党首の交代(強敵・小沢一郎の登場?)という、いわゆる小泉政権の政治的危機を隠蔽するための国際的な猿芝居にすぎなかった。だが、一見、その猿芝居は成功したかに見える。多くの日本人が拉致家族の「親子の再会劇」というメロドラマ(「冬のソナタ」現象?)に素朴に感激し、「さすが小泉さん」と感嘆しているようだし、各国の政府やマスコミも、それなりの政治的意図(北朝鮮崩壊を食い止める?)があるとはいえ、好意的にこの「茶番劇」を論評し、報道しているようだ。

 しかし、すでに拉致被害者家族の怒りが爆発しているように、随所に散見される小泉総理の傲岸不遜な政治姿勢がいつまでも許されるはずがない。今回も、小泉総理は、いかにも尻軽な政治家らしく目先の「手柄」と「人気取り」だけに成功すればそれでいい、「あとは野となれ山となれ」という無責任な政治体質を露骨に露呈させた。五人の子供たちの帰国という「手みやげ」をもらう見かえりに膨大な食料支援と、「絶対に対抗措置はとりません」という自分で自分の首を絞めるような不可解な確約をしてきたのだそうである。いったい、死亡や行方不明として切り捨てられようとしている数百人にも及ぶと言われている残りの拉致被害者のことはどうするつもりなのか。まったくこの男の眼中にはないらしい。疑似餌に喜んで飛びつくダボハゼ以下だな。

■「日・朝政府合作のメロドラマ」が隠蔽しようとしいるものは何か。

 さて、蓮池・地村夫妻の家族は全員無事帰国できたわけだが、ここで言いにく いことだが、もっとも本質的な問題の一つを提起しておきたい。
 つまり、蓮池・地村夫妻の家族だけが、なぜ、帰国できたのか、という問題だ。いや、なぜ、多くの拉致日本人が確認されている中で、この夫婦と曽我さんだけが「帰国組」にはいれたのか。彼らの当初の「帰国目的」は何だったのか、という問題だ。蓮池薫氏は、まだ日本の警察の事情聴取も拒否しているらしい。それにしても政府は、なぜ、蓮池氏らへの事情聴取、情報収集に早急に踏み切らないのか。
 蓮池薫氏らが飛行機のタラップから降りてきた時の光景を思い出してもらいたい。われわれはすでにこの問題の本質を忘れようとしているが、蓮池・地村夫妻は(曽我さんも含めて)単なる被害者ではない。
 蓮池・地村夫妻は北朝鮮が、拉致日本人の「一時帰国」という名称の元に日本に送り込んだ「日本人工作員」だったのではないのか。その帰国組のリーダー格が「蓮池薫」氏であったことは誰でも知っていることだろう。彼らはどういう「使命」と「役割」を北朝鮮政府から託され、そしてどういう条件の元に帰国を許可されたのか。
 小生には、彼らの帰国は「日本人妻帰国」の光景と重なって見える。帰国した日本人妻は普通の日本人妻ではなかった。彼らは北朝鮮政府の忠実な「宣伝工作員」としての役割と任務を担って日本に入国・帰国し、そしてその証拠に日本の経済的な繁栄などには目もくれずに意気揚々と北朝鮮へ帰っていった。彼女たちの役割は何だったのだろうか。
 蓮池・地村夫妻の担わされていた役割と日本人妻の担わされていた役割は別物だっただろうか。そんなはずはない。

■蓮池・地村夫妻は単なる「被害者」ではないだろう?

 ここに不思議な事実がある。蓮池・地村夫妻が、記者会見で、曽我さんを含む帰国三家族のことしか話さないことだ。死亡や行方不明と伝えられる拉致日本人についてほとんど言及しようとしない。何故なのか。たとえ社交辞令だったとしても、一言ぐらいは言及するのが当然であり、日本人としてそれが自然だろう。しかし蓮池・地村夫妻は奇妙なことに「被害者」役を演じるだけで他の拉致日本人やその家族については一言も触れようとしない。
 たとえば、「我々家族は子供も含めて無事帰国できましたが、まだ死亡した人や行方不明の拉致日本人とその家族が残されています。ここで我々だけが喜んでいるわけにはいきません。」と、なぜ、言わないのか。いや、なぜ、言えないのか。なぜ、彼らは、他の拉致日本人の動向については全員が口を噤むのか。彼らの中には、「横田めぐみ」さんと同居した経験のある人や、親しく家族ぐるみで交際していた人もいるというのに、である。
 日朝政府合作の猿芝居の主役は蓮池・地村夫妻なのだ。この夫妻が、拉致された日本人の「悲劇の家族」というメロドラマを演じている限り、この問題の解明は進まないだろう。彼らが、北朝鮮で長い間、「日本語教師」だったというならば、仲間の日本人とその家族がたくさんいたはずだろう。今、彼らの脳裏にそういう日本人の姿が浮かばないはずはない。
 北朝鮮で生き延びたのは彼らだけだったのか。他の日本人は、いつ、何処へ消えたのか。知らないはずはなかろう。
 ところで、小泉政権が国民の意思を無視して、どんなに食料支援や経済支援をしようとも、北朝鮮はそんなに遠くない将来に確実に崩壊・解体するだろう。その時はじめて拉致問題は解決し、その真実が明らかになるだろう。戦後の日本共産党に長い間君臨し続けてきた議長・野坂参三が、実は仲間の日本人を次々に密告し、虐殺・処刑に荷担していたという暗い過去の事実が、ソ連崩壊後、はじめて明らかになったように。
 拉致被害家族の悲劇という「日・朝政府合作のメロドラマ」が隠蔽しようとしいるものは何か。小生が言いたいのは、テロ国家から無事帰国した日本人を疑え、彼らの政治的過去を洗え、ということだ。



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