■青色発光ダイオード問題■

■山崎行太郎が「日亜化学ー中村修二」裁判を読む■




山崎行太郎執筆の「産経新聞」文化欄(2005・2・8)掲載コラムから。




(「産経新聞」文化欄 2005・2・8)

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青色発光ダイオード裁判・「和解決着」の意味するもの。
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 日亜化学と、元社員の中村修二カリフォルニア大(サンタバーバラ校)教授との間で戦われていた「青色発光ダイオード」裁判が、「8億4000万円和解」という予想外の結果で終わった。一審(東京地裁)の「200億円判決」や、一審判決後のテレヒや出版界での「中村修二フィーバー」から考えれば、この裁判闘争は日亜化学側の見事な逆転勝利と言っていいだろう。中村教授自身が、判決後の記者会見で、「100パーセント負けですよ」「日本の裁判制度は腐っていますよ」と興奮気味に怒りをぶちまけているぐらいだから、この裁判が中村教授側の全面敗北であったことに間違いはない。

では、なぜ、こういう結果になってしまったのか。なぜ、中村サイドは、高裁はもちろん、最高裁まで争おうとしなかったのか。実は、私は、この和解決着は当然の結果だったと思う。マスコミでは、裁判官が社会防衛的な意味から会社の経営的立場を考慮して無難な線で決着をつけたという批判的な解説が主流のようだが、私の考えは少し違う。

私の考えでは、この裁判には「特許問題」や「発明の対価問題」は別として、隠された問題点が二つあった。その一つは、「世紀の発明」と言われる青色発光ダイオードの開発を実質的には「誰が」やったかという問題、もう一つは、中村氏が理系の「文化ヒーロー」として繰り返してきた過激な日本の教育制度

私は、「大学入試を全廃しろ」「社員は会社の奴隷ではない」とか言うような、中村氏の粗雑な文化論や教育論にはかなり早くから疑問を感じていた。そこで、「中村発言」や「中村フィーバー」の原点である「青色発光ダイオード開発成功物語」そのものを、日亜化学側が一審判決後に公開した新しい詳細な内部データを元に検証してみたくなった。その結果わかったことは、「青色発光ダイオード開発は日亜化学の若い研究者たちの共同研究の成果」であって、「会社の反対を押し切って自分一人で開発した」という中村氏の「単独成功物語」にはかなり無理があるという事実であった。おそらく裁判官も弁護士も、私と同じように日亜化学側が公開した内部データを元に、青色発光ダイオード開発の本当の物語を知ったはずである。「青色発光ダイオード開発における中村氏の役割は、中村氏が大言壮語するほどでのものではない」。これが、一審判決直後は意気軒昂であった中村派の弁護士が、屈辱的とも言っていい和解案をあっさりと受け入れざるをえなかった背景であろう。

ころで、「青色発光ダイオード開発」には三つの「ブレイク・スルー」(「ツーフロー方式」「p型化アニール」「ダブルへテロ構造」)が必要だったが、中村氏は科学研究者としては、第一段階の「ツーフロー方式」(いわゆる「404特許」)以外では、さほど重要な役割を演じていない。実は中村氏の役割は、社内的には、国内外を飛び回って「青色発光ダイオード開発物語」を宣伝する広告塔的な色彩が強かった。その結果、中村氏の唯我独尊的な独特のキャラの影響もあって、社外や国外では「青色発光ダイオードを一人で開発した男」という「スター科学者」の虚像が一人歩きすることになったのである。しかし、実質的な研究開発の多くは彼の部下たち(妹尾、岩佐氏など)の手によってなされたのであった。ところが日本のマスコミの多くは、未だに中村氏の「青色発光ダイオードは自分独りの力で開発した」という「自作自演」的な自慢話を一方的に信じ込み、「日亜化学側の言い分」を黙殺した上で、中村応援のキャンペーンを繰り返している。マスコミこそ不勉強である。

いずれにしろ、この高裁での和解決着は、中村修二氏の「世紀の発明」物語の根拠の怪しさとともに、中村氏がテレビや書籍で大言壮語、悲憤慷慨した稚拙な「日本的システム批判」や「教育制度批判」も、口から出任せの空理空論だったことを間接的に立証したと、私は思う。中村氏は、高裁判決後の記者会見で、「これから研究生活に戻りたい」と発言している。大いに結構である。ついでに言わせてもらうならば、専門外の幼稚な教育論や文化論はほどほどに慎むべきであろう。いずれにしろ、中村氏の本来の専門分野での活躍を祈りたい。しかし無理だろうと私は思う。中村氏が批判し罵倒してやまない日本の集団主義的研究生活よりも、アメリカの大学の個人主義的研究生活の方が、より豊かな研究成果をもたらすだろうとは、私は思わないからだ。「集団主義」的、「協調主義」的な日本的システムの強さと豊かさに、中村修二氏が気付くのはそう遠い日ではあるまい。(山崎行太郎)

■註…新聞掲載の文章とは若干異なります。加筆あり。





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山崎行太郎執筆の月刊誌【自由】掲載のコラムから。




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中村修二は「産業スパイ」だった…のか?
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■中村修二「裁判闘争」と「テーミス」

 私が「中村修二問題」について考える時の資料は、主として雑誌「テーミス」である。実は、私も昨年末にこの雑誌から原稿依頼を受け、今年の初頭に経済コラムを書いたのだが、ちょうどその頃、相前後してこの雑誌に掲載されたのが「青色LED特許裁判の『真実』」という特集記事だった。私はこの記事を読み、はじめて問題の深さと広がりを実感として理解した。

 われわれは、これまで、この裁判について中村修二サイドからの情報だけで物を考えてきた。しかし裁判には相手がいる。当然、相手には相手の言い分があろう。しかしマスコミも一般大衆も中村修二が作った「物語」を鵜呑みにして、裁判の相手の日亜化学という会社にはなんの興味も示さなかった。「会社に莫大な利益をもたらすような技術開発をただ一人で成功させた中村修二という天才的な科学技術者」を抱えながら、その能力や成果を全く評価せず、むしろ冷遇し続けた会社……という物語だ。

 この問題に挑戦したのが雑誌「テーミス」であった。私は寡聞にして、この問題を日亜化学側から追跡したマスコミの存在を知らない。マスコミも出版社も、中村修二を追い掛けるだけであった。そして中村修二の「自慢話」「ホラ話」(サクセスストーリー)を鵜呑みにした「駄本」を続々と世に送り出しただけであった。

■中村修二が裁判にこだわる理由

 一般的には、中村修二は、裁判そのものが当初の目的ではなく、日亜化学に訴えられたから、仕方なく裁判を始めたと思われている。そして裁判の目的も金銭的対価が目的ではなく、「日本の科学技術者の地位向上……」等が裁判の目的だ、と。しかしこれが大きな間違いである。

 そもそも中村修二が日亜化学を退職し、アメリカに渡ったのは、何故か。ここに中村修二の「裁判闘争」の真の意味は隠されている。つまり「アメリカ行き」と「裁判闘争」はセットだったのである。中村修二が「産業スパイ」ではないか、という疑惑が発生する理由である。

 中村修二は、日亜科学を退職する直前、日亜化学のライバル会社「クリー社」やカリフォルニア大学の関係者と接触している。

 1999年10月13日。ノースカロナイナで開かれた学会に出席した中村修二は、クリー社の幹部と食事し、そこで20万株の「ストックオプション」(未公開株式)の提供を受けた。中村修二は、ここで日亜化学からクリー社への転職を決意したと思われる。むろん、クリー社は中村修二を陣営に引き込むことによって「日亜化学つぶし」をねらったのであろう。その罠にはまったのが、日亜化学の研究開発の現場にいて、日亜化学の特許や産業機密に精通していた中村修二だつた、というわけである。  中村修二はこの後、クリー社に、「クリー社に行ったら日亜化学の特許が問題になる。」「クリーに行ったら、特許を逃れるいい方法がある」というメールを送っている。つまり中村修二の方も、転職先としてクリー社にさかんに売り込んでいたのである。  これに対してクリー社は、「ストックオプションの他に、年俸32万ドル、ボーナス最高8万ドル、さらに100万ドルの家を提供する」という雇用条件を提示した。

 しかし、結果的には中村修二はクリー社を断念し、カリフォルニア大学サンタバーバラ校に転職した。なぜか。ここに重大問題が隠されている。

 実は、カリフォルニア大学のデンバーグ教授から、「クリーに行ったら、日亜に『企業機密漏洩で訴えられる』可能性は高いぞ」と忠告されたからである。

 しかし中村修二は、カリフォルニア大学に転身の直後、クリー社の子会社「クリーライティング社」の非常勤研究員になる。  

 さらに中村修二は、デンバーグ教授の設立した「ナイトレス」という半導体デバイス開発のベンチャー企業のコンサルタントにもなっている。ところが、このベンチャーはその直後クリー社に買収されている。この買収劇で、中村修二は、10億5000万円以上の株式利益を得ている。

 ■暴露された契約書の内容

 ところが、裁判の過程でさらに大きな疑惑が暴露された。2003年7月15日の裁判の本人尋問で明らかになった事実である。中村修二は、クリーライティング社の非常勤研究員になるにあたって「2通の契約」を結んでいたが、その契約内容とは?

 2001年5月の契約書には、「東京地裁で日亜化学を相手に相当の対価の訴訟を行うこと。その際、弁護士費用はクリーライティング社がすべて負担すること、追加報酬としてクリー社の7万株のストップオプションが与えられること。」とあった。

 この契約書を読めば、クリー社が中村修二に接近した理由が一目瞭然であろう。しかも、中村修二が研究生活を犠牲にしてまでも裁判闘争を開始せざるをえなかった理由も明らかだろう。中村修二は完璧ににクリー社の罠の中に堕ちていたのである。

 ところがこの契約書は途中で変更されている。つまり、2001年8月の契約書では、「訴訟の範囲が『半導体結晶膜の成長方法』という中村修二が帰属を主張した『404特許』に限定されてしまったため、訴訟費用の前払いは望んでいないが追加のストックオプシヨンは変更されていない」という内容に変わった。この変更は何を意味するのか。 

 何故、訴訟費用の全額負担が後退したのか。それは、おそらく、前回も説明したように、「404特許」だけでは青色発光ダイオード製造は不可能だということにクリー社側が気づいたからだろう。

 つまり、クリー社も、中村修二の「自慢話」(サクセスストーリー)にまんまと騙されていたのだ。(山崎行太郎)





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山崎行太郎執筆のコラムから。








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知ったかぶりの雑文屋・日垣隆が、この問題に関して、
まったく無知・無学のドシロウトであることを暴露する!!
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 日垣隆という人が、「エコノミスト」の「敢闘言」で、無知・無学・無教養をさらけ出して、頓珍漢な怪気炎をあげているのを、友人に教えられて読んだ。「青色発光ダイオード」の開発者としてノーベル賞候補にまで擬せられていると噂される中村修二カリフォルニア大学(サンタバーバラ校)教授(元・日亜化学社員)の「200億円判決」の話である。

 実はたまたま私もこの問題に関心を持っていたために、判決直後に「web日記」に、私の持っている情報を元に、中村修二と、日亜化学のライバル会社であった米国クリー社との間には、金銭の授受(株のストップオクション)や裁判闘争の密約があったのではないか…、つまり中村は米国資本に魂を売った売国奴ではないか…と、「中村修二批判」を書いた。ところがこれに異常ともいえるアクセスがあった。99パーセントが私の「中村批判」を罵倒する側の人たちだったと思われる。判決文やマスコミ情報を鵜呑みにした人たちであろう。

 ところで、この問題で頓珍漢な怪気炎を挙げている日垣隆も、そういう「バカの壁」族の一人のようだ。

 日垣は、産経新聞の「産経抄」氏が、≪研究者の特許が正当に評価されなければならないのは当然だが、むやみに訴訟沙汰が増えれば、技術者が個人プレーに走り金銭万能時代の風潮に拍車がかかる。≫と書いたのに対して、こう批判している。

 ≪あいかわらず陳腐な両論だけを 並べたてる空疎な度胸に頭がさがる。≫

 ≪多くのマスコミはまた、「こんな多額の対価が認められたら企業活動は成り立たない」と嘆く営業体験すらない非技術系トップの不用意なコメントを書き並べていたのだが、判決文を本当に読んだのだろうか≫ 

 ≪売上高一兆2086億円という莫大な貢献に対して、会社はほとんど何の賞賛も与えていなかったのである。そもそも、ポケットマネーと手作りの装置で研究開発に明け暮れた中村氏に上司や社長が為したことは「大至急、研究を止めよ」という社長メモ(本物)を嫌がらせで机に貼り付けることだったのだ。≫

 この一連の発言を読んで私は、お気の毒だが、日垣がこの問題に関してまったく無知・無学のドシロウトであると断言せざるをえない。日垣の批判の内容は、ほとんど中村修二が、著書やテレビ、講演などで「自慢話」として発言したものを無批判に受け入れたものばかりだ。

 日垣は、この裁判闘争に隠された日米特許戦争の構造にも、その底に蠢いている国際的陰謀にもまったく無知である。日垣が、判決文もろくに読んでいないことは明らかだ。ましてや技術開発の内容などは…。

 まず、第一に指摘しておきたいのは、「青色発光ダイオード」と「青色半導体レーザー」(中村は対価をここまで拡大しているが、これは中村とは無縁の技術開発だ…)の開発と製品化の過程における中村修二個人の役割だ。日垣は、すべて中村個人の単独プレイのように錯覚しているが、トンデモナイ話だ。NNKの「プロジェクトX」の見過ぎじゃないの(笑)、日垣クン。

 青色発光ダイオードの開発と製品化の過程にはいくつかの段階がある。仮に三つの段階に(「三つのブレイクスルー」と言われているが…)分けるとすれば、中村が主として貢献した研究開発の段階は、

 ≪窒化ガリウム(NaG)に着目し、窒化ガリウムの結晶性の改良を行いつつ「MOCVD」装置を使った「ツーフロー方式」で、窒化ガリウム結晶の成長方法を確立した≫段階である。

 中村が、裁判で日亜化学に対して起こした裁判も、この「ツーフロー」方式に関する「404特許」の部分である。

 しかし、これはまだ第一段階である。「青色発光ダイオード」の製品化には後に二つの段階のブレイクスルーが必要だった。それは「アニールP型化現象」の段階と「ダブルヘテロ構造」技術の確立の段階である。

   しかるに、この二つの段階のブレイクスルーは、中村の手ではなされていない。その二つの段階のブレイクスルーに貢献した技術者は、中村の部下として研究開発に励んでいた日亜化学の若い技術者たち、I氏とN氏である。

 中村は、部下の「アニールP型化現象」に関する研究開発を最初は無視していた。しかし、部下の研究開発が次第に成果をあげはじめると、そのデータをひそかにかき集め、「中村修二」名義で論文として発表してしまう。実は、この「盗作パクリ論文」こそが中村修二の研究業績として高い評価を受け、数々の賞(仁科科学賞など)を受賞することになった論文だ。そしてこれを契機に、中村の名前は、「青色発光ダイオード」を会社の指令を無視してまでも単独で開発した技術者として一人歩きを始める。

 さて、中村は、自分の開発した「ツーフローMOCVDC装置」の段階が一番大事なブレイクスルーだったと言っている。だが、それもあやしい。ツーフローの技術は、当時でも業界ではすでに半ば公認されていた知識・技術であって、しかもまだ不完全なものであった。したがって現在、ツーフロー方式を採用している会社は、日亜化学やクリー社をはじめとしてどこにもない。今や、いやすでに早くからほとんど役にも立たなくなっている「404特許」だけで、「200億」の対価とは…。裁判官も冗談が過ぎる。

 しかも、中村は、日亜化学のライバル会社である米国クリー社との間であやしい裏取引をしていた。つまり中村は、「404特許訴訟」を起こすにあたってクリー社から、7万株のストップオクションの提供を受け、さらに裁判費用全額肩代わりという契約も結んでいた。なぜ、そんな密約が必要だったのか。(山崎行太郎)





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山崎行太郎執筆のコラムから。








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中村修二氏の発明「200億円」判決は、美談か? 
        2004/02/01 (日) !!
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   青色発光ダイオード発明の権利をめぐって争われていた裁判で、会社側に200億円の支払いを命じる判決が下ったらしい。今や松井選手なみの国民的スターになったかに見える中村修二と言う人が、その主人公なのだが、朝日新聞を初めとしてマスコミは一斉に判決を歓迎し支持するかのような好意的な記事を発表している。これから日本の会社でも、技術研究に対する評価や扱い方はアメリカ並みになっていかざるをえないだろう、と。

むろん僕もその意見に反対ではない。しかし、何かちょっとちがうんじゃないか、と思ったというのが僕の正直な感想だ。この人は、アメリカの大学に(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)転職してから急に態度を硬化させ、日本のマスコミに登場して日本の教育システムを批判したり、古巣の会社に対する裁判を起こしたりし、著書を出したりし始めた。なぜ、四国にいる時に、会社側の不当な扱いをマスコミに公表したり、裁判を起こしたりしなかったのか。

そもそも青色発光ダイオードの研究開発は中村個人の力によるものなのか。共同研究者や会社側の経済的支援はなかったのか。すでに裁判の過程で、この発明の「知的所有権」は会社側にあると認定されている。さて、僕は、中村氏がアメリカの大学への転職を契機に会社を告発する裁判闘争を開始した背景には転職をめぐって中村氏とアメリカの大学や会社との間に裏取引があったと見ている。

結局、中村ナニガシは、アメリカ資本に「魂」を売ったのであって、こんな話は美談でもなんでもありはしない。中村氏の裁判や中村氏の日本のマスコミへの露出が増え始めた頃、中村氏と似たような境遇で研究を続けてきた民間技術者・田中耕一さんのノーベル賞受賞が発表され、すっかり話題を奪われてしまったのだが、その田中氏が会社に「対価」を求めないと発言したことも重なって、逆に中村氏の行動が一部では批判的に語られることが多くなった。

そもそも中村氏がテレビ出演や著書などで語った日本の教育システム批判も、所詮、誰かの受売りばかりで、今更、ここに書き記すのも恥ずかしくなるような、幼稚でステレオタイプなものばかりだった。中村氏の大学時代の恩師が、裁判ばかりしていないで、次の研究に取り組め、と忠告していたが、たぶん無理だろうと僕は思う。科学者も文学者も、やはりカネに目が眩むようになったらオシマイだろう。

次はノーベル賞? もういいよ、この人。(山崎行太郎)






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